◆ 日本のお札について |
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日本銀行を「NIHON」ではなく、「NIPPON」と表示するのか? |
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お札の裏側にはローマ字で「NIPPON GINKO」と印刷されています。 1885年(明治18)9月に発行された百円札、一円札から表示されていますが、なぜ「NIHON」ではなく「NIPPON」となったかというと、当時の大蔵大臣などが「ニッポン」と発音していたからといわれています。 明治時代、東日本地区では「ニホン」、西日本地区では「ニッポン」の発音が主流だったそうです。当時、お札を発行する仕事に関係が深かった大蔵大臣の松方正義、日銀総裁の吉原重俊、大蔵省印刷局長の得能良介はいずれも薩摩出身で、日本のことを「ニッポン」と発音しており、それがそのまま印刷されたのだそうです。 |
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なぜ「EN」ではなく、「YEN」になっているのか? |
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1872年(明治5)発行の政府紙幣から円をローマ字で「YEN」と表示されています。 しかし「円」をローマ字で表すと「EN」と書くのが一般的だと思いますが、なぜ「YEN」と表示するようになったかについては諸説あります。 1)「EN」は、外国人が発音すると「エン」より「イン」に近いのだそうです。なので子音の「Y」を つけて「YEN」になったといわれています。 2)「EN」はオランダ語では「〜と」「そして」の意味をもち、スペイン語やフランス語では「〜の 中に」の意味でよく使われているのだそうです。それらの言葉と混合し間違われないように したためといわれています。 3)昔、中国の「元」紙幣では、「YUAN」と表示されていました。これが「YEN」に変わったと いわれています。 |
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お札に押されているハンコは? |
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お札の表面に押されているのは、日本銀行の総裁の印章です。また裏面には日本銀行のお札の発行・回収などを行う、日本銀行の発券局長の印章が押されています。 お札にハンコが押されているのは、ハンコの習慣がある中国や韓国、シンガポールなどで見られます。一方ハンコの習慣のない国では、財務長官などのサインが印刷されていることが多いそうです。 |
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お札に描かれる肖像は右側と決まっているのか? |
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肖像画が右側に描かれていますが、これは主にデザイン的な意味合いからきているのだそうです。 ちなみに1915年(大正4)に発行された和気清麻呂と護王神社が描かれた「拾円札」は、唯一左側に肖像が描かれています。また、中央に肖像が描かれているお札も6種類(明治18年発行の「壱円券」、昭和32年発行の「五千円券」など)発行されています。 |
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お札の表面にあるアルファベットと数字の組み合わせは何? |
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お札の背番号のようなもので、「記番号」といいます。 同じ種類のお札には全て違う記番号が印刷されており、先頭に1文字または2文字のアルファベット、その後ろに6桁の数字、末尾に1文字のアルファベットになっています。 アルファベットのうちI(アイ)とO(オー)は、数字の1と0に間違いやすいので使われておらず、24種類。数字は「000001」から「900000」まで使われ、129億6千万通りの組み合わせがあります。 ちなみに記番号が一巡すると、普通は色を変えて再スタートするのだそうです。 |
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貨幣の単位が「円」に決まった理由 |
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1871年(明治4)の新貨条例によって「円」決められました。 「円」に決まる前は「元」という案がありましたが、なぜ「円」になったかについては資料がなく、わからないそうです。 有力な説としては、 1)貨幣が丸いので「円」となったという説 2)当時、香港では「円」という単位が使われており、造幣機械とともにその名前も輸入された という説 などがいわれています。 |
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今までお札の肖像になったのは? |
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日本のお札に初めて肖像が登場したのは、1881年(明治4)発行の「壱円券」。神功皇后が描かれました。 それ以後、2004年(平成16)11月発行の新札まで17人の肖像が描かれています。 [政府紙幣] 神功皇后、板垣退助 [日本銀行券(戦前)] 菅原道真、和気清麻呂、武内宿禰、藤原鎌足、聖徳太子、日本武尊 [日本銀行券(戦後)] 二宮尊徳、岩倉具視、高橋是清、板垣退助、聖徳太子、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、 夏目漱石、野口英世、樋口一葉 |
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1万円札の福沢諭吉について |
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福沢諭吉の肖像は、慶應義塾大学の福沢研究センターに保管されている56歳当時の写真です。 この写真は、生前、福沢諭吉自身がお気に入りだったものだそうです。 |
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