sensouji

浅草寺

628年(推古36)、檜前浜成と竹成の兄弟が隅田川で漁をしていた時に、網にかかった像を持ち帰り、郷司の土師中知に見せたところ、その像がありがたい聖観世音菩薩であることがわかり、中知はお堂を建てて祀ったのが浅草寺のはじまりです。

857年(天安元)に慈覚大師が中興の祖となり、堂塔を整備。兵火や失火で何度も焼失しましたが、その度に源頼朝や足利尊氏、北条氏康などの支援を得て再建を重ね、江戸時代に入ると浅草寺は徳川幕府の祈願所に定められ、一層の繁栄を遂げました。

浅草寺は現在も参詣者が絶えない、東京を代表する寺院です。

スポンサーリンク

浅草寺のご利益

諸願成就

本尊の観音さま(秘仏)の霊験はとても強大といわれ、商売繁盛、家内安全、学業成就、厄除け、病気平癒など、あらゆる願いに効験があるとされています。毎年7月10日の功徳日にお参りすると、四万六千日分日参したのと同じご利益が授かるとのことです。

浅草寺のご利益どころ

六角堂

六角堂には、日を決めて祈ればご利益を授けてくれるといわれる「日限地蔵尊」が祀られています。

淡島堂

浅草寺の境内の奥、本道の左手に祀られている赤いお堂が淡島堂です。

元禄年間(1688~1703年)に和歌山の加太神社の淡島明神を勧請して淡島堂が建てられました。

淡島明神は婦人病の苦悩から女性を守護するために神となったとも伝えられる神さまで、中でも下半身の病に霊験があるといわれています。

古くから女性の守り神として女性の信仰を集める粟島堂です。

また淡島堂では、毎年2月8日に古い針や折れた針を豆腐にさして供養する行事「針供養」が行われます。裁縫が上達し、針などで怪我することがなくなるといわれ、当日は参詣者で大変な賑わいです。

かんかん地蔵

このお地蔵さまから削り取った粉を財布に入れるとお金が貯まるとの噂が広がり、”かんかん”と削り取られてしまい、今のようなお姿をされています。

本来は、お地蔵さまの前にある古来より付随の小石でお地蔵さまの体を軽く叩いてお願いすると、願いごとを聞き届けてくださるお地蔵さまです。

銭塚地蔵堂

浅草寺の本堂の裏手、駐車場の向かいに赤い幟が立つお堂が銭塚地蔵堂です。堂内には兵庫県有馬郡山口村の銭塚地蔵尊から分霊を勧請した石仏六地蔵が祀られています。

今から約300年前の山口村の勤勉な一家から寛永通宝がぎっしり詰まった壺が発見されました。ところが賢明な奥さんがこんな大金があってはダメだと、子供たちを戒めて再び埋めてしまったという。その後、家は繁栄し、出世した長男が母親を偲んで壺を埋めた場所に地蔵を祀りました。また山口村から浅草に出てきた次男も出世し、母親の言葉に感謝して浅草寺のそばに寛永通宝を詰めた壺を埋め、同じように地蔵を建てたのが銭塚地蔵堂です。

地蔵は堂内に安置され、出世や商売繁盛にご利益があるといわれています。

鎮護堂

明治初期頃までは浅草寺の付近一帯は原野で多くの樹木が生い茂り、タヌキもたくさん住んでいました。しかし浅草寺周辺の開発が進み、住み処が失われるとともにタヌキが様々な悪戯を始めるようになりました。

ある時、時の住職・唯我韶舜僧正の夢枕にタヌキが立ち、「自分たちを守ってくれれば、火事から守りましょう。」というので、「鎮護大使者」として、ダ枳尼天とともに合祀して小堂を建立しました。以来、鎮護堂は火難除けの信仰を集めています。

また、”タヌキ”は”他抜き”に通じることから、商売繁盛や芸事上達などのご利益もあるといわれています。

加頭神社

浅草寺境内の一角、鎮護堂がある敷地内に祀られているお地蔵さま。

戦後、浅草寺の境内に首と胴が離れたままになっていたものをつないで元通りに修復されたことから、「首がつながる=リストラ除け」のご利益があるとされています。

首切りの心配なサラリーマンを中心にひそかに信仰を集めているお地蔵さまです。

被官稲荷

1854年(安政元)、新間辰五郎(町火消十番組組頭)の妻が重病で床に伏した時、京都の伏見稲荷大社で病気平癒の祈願をしたところ、願いが叶い、病気がすっかり治りました。そのお礼に1855年(安政2)に伏見から祭神を勧請し、祀ったのが被官稲荷です。

稲荷社のご神徳により、商売繁盛はもとより、「被官=官位を授かる」ということから出世や就職を祈願される方も多いです。

スポンサーリンク

お寺へのアクセス

・東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線・東武伊勢崎線「浅草駅」から徒歩5分ぐらい

浅草寺

sensouji

東京都台東区浅草2-3-1

エリア:
台東区
電話番号:
03-3842-0181

スポンサーリンク