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金刀比羅宮
1660年(万治3)、讃岐丸亀藩主・京極高知が、四国・讃岐の金刀比羅大神の分霊を三田の藩邸内に勧請したのがはじまり。1679年(延宝7)に藩邸の移動とともに現在の地に移されました。
江戸時代は金刀比羅詣での全盛期にあたり、ご利益に授かりたいと願う江戸市中の希望に京極家は応え、文化年間(1804~18年)頃からは、毎月10日に限って一般の参詣を許すようになったそうです。この日になると露店や植木市が出て大変な賑わいだったといわれています。
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1660年(万治3)、讃岐丸亀藩主・京極高知が、四国・讃岐の金刀比羅大神の分霊を三田の藩邸内に勧請したのがはじまり。1679年(延宝7)に藩邸の移動とともに現在の地に移されました。
江戸時代は金刀比羅詣での全盛期にあたり、ご利益に授かりたいと願う江戸市中の希望に京極家は応え、文化年間(1804~18年)頃からは、毎月10日に限って一般の参詣を許すようになったそうです。この日になると露店や植木市が出て大変な賑わいだったといわれています。
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祭神の金刀比羅大神は、運を司る大物主神のこと。
まばゆい光で海上を照らし、波間から現れたことから海上守護の神と呼ばれています。
金刀比羅宮が祀られている地は、江戸城の裏鬼門に位置することから、古くから鬼門除けの神としても信仰を集め、各種厄除けにも霊験あらたかといわれています。
神紋が”金に〇”というところから、金運や商売繁盛にご利益があるとされ、祈願に訪れる人が多いです。
祭神の大国主命は、開運福徳、医薬神、さらに当社は禁厭(まじない)の神として、「病や災難を防ぎ祓う呪神」として禁酒・禁煙に霊験があるといわれています。
拝殿脇には、禁酒や諸願を願って奉納された酒瓶が並んでいます。
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・東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」から徒歩1分ぐらい
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東京都港区虎ノ門1-2-7
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